お地蔵さま
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あの瞬間を今でもはっきりと覚えている。 それはいつも通っていた小さな路地で起きた。
その日は起きるのがいつもよりずいぶん遅くなった。 理由は前日なかなか眠れなかったからだ。 あることで頭を悩まし、あれやこれやと考えているうちに、寝るのが明け方になった。
当時僕は京都の西陣というところに住んでいた。 西陣は西陣織で全国的に有名な地域ではあるけれど、僕の住んでいたところは、あなたが想像するようないわゆる京都という雰囲気の町ではなく、歴史的な古い建物が立ち並ぶ京都の観光地のイメージとは違って、どちらかといえば、平成の生活感が漂う住宅街だった。こじんまりとした現代風の家が細い路地にぎっしりと並んで立っていて、その一角に僕の住んでいたマンションはあった。 行きつけのおしゃれな喫茶店も歩いて3分のところにあった。
僕はこの町がとても好きで8年間も住んでいた。 その奇跡的な体験は、まさに8年目の最後の年の春に、その大好きな西陣の小さな路地で起こった。
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いつもより寝坊した僕はただ何となく外へ出て、いつものコンビニに向かってその西陣の路地を歩き始めた。 春のやわらかい日差しと、まだほんの少しひんやりとする風がとても気持ち良かった。 ふと周りを見れば、よそ行きの格好をした親子連れがちらほらと見える。 その日は京都の高校の入学式の日だった。 そう思って周りを見れば、初々しい学生が乗った自転車たちが路地をすり抜けていく。カゴに入れてあるぴかぴかの鞄を見ればあの子たちも入学式終わりの子たちなのだろう。 いつもの路地は出発に満ちていた。門出に満ちていた。
いつもと違う路地の雰囲気もあってか、いつもは全く意識していないのに地蔵尊にふと目が行った。 その瞬間、ぴかぴかの鞄を積んだ女子高生の自転車がその前をスーッと横切った。
僕はその一瞬の景色に涙がでてきた。
「あ、このタイミングなのかもしれない」と思った。
実を言えば、前日の夜悩みに悩み決心したのは、この大好きな京都から出ていくことだった。 それは決して出発や門出といったポジティブなものではなく、失敗や敗北という言葉がピッタリのなさけない撤退だった。 この路地に溢れる幸せとは真逆のものだ。 だからと言って、その涙は自分の今の境遇を悲しんでながしたものではなかった。
京都の路地にはあちらこちらに小さな地蔵尊が祭られている。
もちろん西陣の路地にもいくつもある。 でも、8年間も住んでいてその地蔵尊は今まで全く気に留めていなかった。 今までその前をおそらく何度も何度も数えきれないほど通ったはずだ。 8年間こちらに知られることなくずっと見守ってくれていたお地蔵さまが、この最後の年に僕の前に現れてくれた。 門出の喜びに満ちた女子高生とともに。
僕は京都を出る決心を本当にしたのはこの瞬間だった。
あのお地蔵さまはぼくの人生の岐路に立っていたのかもしれない。 あの女子高生もいつか今日の僕と同じように自分のお地蔵さまに気付くのだろうか。