僕の傘はずっと思春期である

雨の日、僕はいつも傘の扱いに困る。
思春期の子供のように反抗的でまるで言うことをきかない。
僕の傘はコンビニで買った700円のビニール傘である。
いわゆるコンビニ傘だ。
おなじみの「J」の形をした持ち手が付いている。
長さは腰あたりまである。
どこにでもある普通の傘だ。
雨の日はこれを持って出かけることになるのだが、こいつがいろんな所で暴れまくる。
スーパーに行くと、持つのは傘だけではない。カゴも持たなければならない。四角いカゴに長い棒状の傘である。絶対に相性が悪い。どう持てば正解なのか分からないのでいろいろやってみる。
カゴを持っている方の手の手首に傘を引っかけておくのが一番合理的かなと思ってやってみる。
片方の手が空いてカゴと傘を持ったまま商品を取ることができる。一見これが正解のように思える。ところが、傘の先を引きずらないようにと肘をずっと直角に近い角度で保っていなければならないためすぐに疲労がたまる。さらに商品を入れる度にカゴも重くなっていくのでそれほど長くは持続できない。
苦し紛れに傘をカゴの端に掛けてみても結局は傘の先を引きずらないようにするため同じことだ。
どう持っていいのか迷っているうちに何回かバタッと倒す。
会計をするときもやっかいだ。財布をカバンから取り出そうと傘をレジの台に立てかける。一瞬静止する。ところが次の瞬間には丸い持ち手がクルッと回転してバタッと倒れてしまう。
電車でも暴れる。
僕は傘を窓のでっぱった所にいつも引っかける。飲み物などちょっとした物が置けるところだ。これが引っかかっているのが不思議なくらいの不安定さである。何かの拍子ですぐに外れてバタッと倒れる。はげしく倒れた時などは周りの人に水滴が飛んでいないか気になってしまう。「うちの息子がすみません」である。
いろいろな場面で傘のベスポジを探してあれやこれやと試行錯誤をするが、毎回必ずバタッと倒れて僕をイライラさせる。
反抗的な理由は何となく分かっている。
ひとことで言えば、僕があの「J」の正しい使い方を知らないからだろう。
形からみれば一見引っかけて使うのが正しいように思えるが、しっかり引っかけることができたことがあまりない。引っかかりはいつも不安定である。
立てかけようものならその形が仇となり回転して倒れてしまう。
この持ち手はどう使えばいいのか。
何が正解なのか。
冒頭から持ち手と言っているがそれも本当に正しいのか。
傘を持ち歩く時、実際はあの持ち手の部分を持たない。
剣道の竹刀のように中心より少し上の方を軽く持ってぶら下げている。
そう考えると持ち手であるということさえ怪しく思えてくる。
あのフック状の丸い持ち手はなんのためにあるのかよくわからない。
「J」はなんのためにあんねん!
「傘 フック 意味」でググる。
結論から言えば、
傘の形はステッキを真似ているのだ。
ステッキと言えば歩行補助の介護用品的なイメージがあるかもしれないがそうではない。
ここでいうステッキは英国紳士をイメージさせるあのファッションアイテムとしてのステッキである。
ステッキは元々貴族が自分の権威や権力を示すために持っていたもので自分のステータスを見せつけるためのファッションアイテムという位置づけであった。
だから本来ステッキにこれと言って実用性はない。
歩行補助などの必要性に迫られて持つようなものではないのだ。
そもそも持っても待たなくても良いものなのである。
持てば片手を塞がれてしまい、逆に不便になる。
当時の貴族はこのまるで無駄とも言えるものをあえて持つことで生活水準の高さと余裕を示したのだ。「片手を塞がれても不自由なく暮らせる」これがステッキを持つ上流階級の心意気である。
それがかっこいいからという理由で、当時の人は傘をステッキに似せてつくった。
「J」の形はステッキの形からきているのだ。
だんだん分かってきた。
扱いづらい原因が。
さらに「イギリス ジェントルマン」で画像検索。
英国紳士の描かれている絵をみればだいたいどれもステッキ以外に手に荷物など持っていない。
なるほど、僕と相性が悪いのは当然かもしれない。
僕はカバンやら財布やらカゴやらを持たなければならない現代に生きている。
片手を塞いでもいいという余裕はない!
傘の「J」はステッキをそのまま引き継いでいるだけである。
今の時代にあわせて使いやすいように設計されたものではない。
つまり、この現代においてこの「J」の正しい使い方などそもそもないということだ。
これで僕の傘はこれからも反抗的で暴れまくることが確定した。
もう諦めた。
僕の傘はこれからもずっと思春期である。